1976年高校の友人同士で結成、当初はMIND POWERという名のジャズ、フュージョンバンドだった。1978年、セックス・ピストルズやラモーンズ、デッド・ボーイズに触れて衝撃を受け、ただちに音楽をパンクロックに変更、ラモーンズの曲名からバッド・ブレインズに改名し生まれ変わった。ラモーンズのスピードをさらに進化させた結果、各楽曲が猛烈に高速化、そしてもともとフュージョンで培っていた超高度な演奏技術が交わり、ワシントンDCを拠点に怒涛のライヴを繰り広げ、ハードコア・ムーヴメントの走りとなる。しかしそのあまりに激しいライヴにより会場は常に暴力、暴動寸前のカオス状態となっていき、結果ワシントンDCではライヴが出来なくなり、活動の拠点をニューヨークに移す。ワシントンDCを追われた事実は代表曲の一つ「BANNED IN D.C.」という曲となっている。その後ボブ・マーリーとザ・クラッシュに衝撃を受けてレゲエのスタイルも取り入れ、パンク/ハードコアとレゲエが凄い次元で混在するというとんでもないバンドになっていく。そして1980年、1stEP"PAYTO CUM"をリリース。そのEPにおさめられた演奏の尋常でない猛烈超高速なスピード感は周りを圧倒し、USハードコアの基本中の基本の名曲として現在でもその凄まじさは色褪せない。1982年、1stアルバム「BAD BRAINS」をカセットでROIR(リーチアウト・インターナショナル・レコード)からリリース、そのライナーノーツはヨ・ラ・テンゴのアイラ・カプランが書いている。またバンドの打ち出した「すべての物事を否定でなく肯定から生み出す姿勢、あらゆることをポジティブに解釈して前に進む」という考え方=「P.M.A.(PositiveMental Attitude)」は現代でも不変のバンドの思考である。その後「I AND I SURVIVE」、ザ・カーズのリック・オケイセックのプロデュース作「ROCK FOR LIGHT」をリリース、そして一度解散を経て、ブラック・フラッグの誘いもありアルバム「I AGAINST I」でSSTレーベルへ移 籍、復活を果たした。その後も幾度となく解散状態に陥るなど不安定な時期を過ごすも、ヴォーカルのHRがソロアルバムを発表するなど精力的な活動は続いた。2002年にバンド名をソウル・ブレインズと改めてライヴ活動を再開するが、思うような結果を得られずに終わっている。ボーカルのHRがラスタファリニズムに傾倒し、奇行が目立つようになったのもこの頃からか。しかし2003年にベスト盤「バンド・イン・DC~バッド・ブレインズ・グレイテスト・リ フ」を発表、驚異的セールスを記録し、新たなバッド・ブレインズ・ファンが生まれていることを証明した。最新作は2012年の「INTO THE FUTURE」。